育苗って保育園みたい

先日、農場実習でミニトマトの苗を移植する様子を見ていて感じたのが

「実習の素材」「課題をこなすためにある存在」という見方ではなく
「自我をもった個」として植物に接する学生さん、多いんですね。

品種名に愛着をもって呼んだり、
移植先のポットが足りないと
「早く居場所を作ってあげなきゃ」
と言いながらせっせと土を詰めたポットを作ったり、
うっかり落としてしまった苗に「ごめんね」と謝りながら拾ったり、
かん水の時に「大きくなれよ」と話しかけたり。

あくまで「農場実習」なのだけど、まるで幼稚園や保育園のような場所の「教育実習」での会話のような感覚を覚える時があります。

課題の遂行や直接的な評価には影響しない要素なのかもしれませんが、
(…と思ってるのはわたしだけで、実は影響してたりして…?)
こういう「万物に魂が宿る」的な発想、わたしは好きです。

ちょっとだけお話は脱線しますが、
某宅急便の会社のロゴマーク、子猫をくわえて歩く猫のモチーフでしたよね。
あれ、
「我が子のように大切に運びますよ」
という会社からのメッセージだと聞いたことがあります。

相手を「モノ」ではなく「自我や意思を持った存在」と思って接するだけで
触り方や取扱いが優しく丁寧になることはありますよね。

それで何かしら具体的に良いことがあるのかどうかはわかりません。
…が、乱雑にあつかうことで起きるミスは確実に減るし、
もしかしたらその気持ちの余裕が
共同作業者への気配りにもつながるかもしれません。

非科学的だったりするのかもしれませんが、
素材、道具、設備、などなど
ひとつひとつ丁寧に大切に接してくれる学生さんたちが
その気持ちをこれからも大切にし続けていってくれたらうれしいな、と思っています。